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【講演録】性別違和感を抱く学生に教職員はどう対応していくか [論文・講演アーカイブ]

2014年7月27日、明治大学(駿河台)で開催された「第53回学生相談室夏期セミナー」に呼んでいただき、「性別違和感を抱く学生に教職員はどう対応していくか」というテーマでお話しました。
その記録が『学生相談 2014年度 学生相談室報告』(明治大学学生支援部 2015年6月)に掲載されました。
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学外者には入手が難しい学内誌なので、全文をここに掲載します。
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明治大学 第53回学生相談室夏期セミナー 講演
「性別違和感を抱く学生に教職員はどう対応していくか」
            2014年7月27日(日)
                文学部 兼任講師  三橋 順子

はじめに
皆さん、こんにちは。三橋順子です。明治大学に非常勤講師で呼んでいただいて3年目になります。簡単に自己紹介しますと、私は、男性から女性へのトランスジェンダーですが、戸籍は生まれたときの性別、名前で変えておりません。1995年くらいから社会的には女性として、講演、著述、あるいは教育活動をしてきました。女性としてそれなりに実績はあったわけですが、実は、明治大学から講師のオファーがあったとき、すんなりとはいきませんでした。「お引き受けします」とお返事した後、履歴書段階で1~2カ月ほど手続きが止まってしまったのです。理由は履歴書の性別欄の記載です。私は履歴書の性別欄を空欄で提出しました。私の性自認からして「男」とは書けませんし、男女雇用機会均等法の趣旨からして性別の記載は強要されるべきではないと考えますので。それに対して人事課は「性別欄が空欄なのは前例が無い。戸籍通りちゃんと男性と記載してください」ということでした。私から明大で講義をさせてくれとお願いしたわけではなく、明大から依頼してきたことですので、「それなら結構です」と申しましたら、やっと人事が動いたということがありました。性別記載で引っ掛かってしまうということが、まだまだ日本の現実としてあるということです。明治大学だけが理解がないわけではなくて、日本社会のシステムが男女二元で、しかも硬直的で融通が利かない。それが性別を越えて生きるトランスジェンダーの人たちをどれだけ生きにくくしているかという事例としてお話しました。今日はそうした問題をどのようにクリアしていけばよいかというお話をいたします。

1 基礎知識として
今日のテーマは「性別違和感を抱く学生に」ということですが、最初に基礎知識的なことを、三つお話をしておきましょう。
(1) 同性愛とトランスジェンダー
一つ目は、同性愛とトランスジェンダーの違いです。学生も一番ここが分からないと言うので、こんな説明をします。同性愛は、男が好きか女が好きかという性的指向sexual orientation問題であって、自分が男であるか女であるかというgender identity性自認(性同一性)の問題ではありません。誰を好きになるかという相手の性別がマジョリティーの人と違っているのが同性愛です。トランスジェンダーは自分が男であるか女であるかという性自認gender identityの問題で、男が好きか女が好きかというsexual orientationの問題ではありません。男として生きるか女として生きるかという自分の性別の在り方の問題です。

(2) 性別違和感(Gender Dysphoria=GD)とは?
基礎知識の二つ目は、性別違和感gender dysphoriaとは何かということです。一般的には、自分の性別に対する心理的な違和感が性別違和感です。性別違和感を考える場合、基本になるのは自分の性自認、自分を男と思うか、女と思うかということです。自分は男だと思っているのに、身体が女である、生理が来る。あるいは、自分が女だと思っているのに、男性の身体である、声変わりをしてしまう、髭が生えてくるというような性自認と身体の性のズレが身体違和です。
ズレ(違和感)はそれだけでなく、性自認と社会的性(ジェンダー)の間にも生じます。自分が女だと思っているのに、世の中からは男として扱われる。「あなたは、戸籍は男でしょう。だから男として扱いますよ」ということです。自分は男だと思っているのに、「あなた、戸籍上は女でしょう。女性のほうに入りなさい」と言われてしまう。性別違和感は性自認と身体の間、性自認と社会的な扱いの2カ所で生じます。ここがポイントです。身体のほうの違和感は大学でどうこうできる話ではありませんので、医学的な対処が必要になりますが、社会的な扱いに関しては、世の中の一部である大学でも対応できる問題ということになります。
心が女なのに身体が男であるというのはやはり辛いわけで、何とかズレを直そう、整合性を回復しようとします。自分は女だと思っているのに世の中から男として扱われるというのはとてもきついことです。さっきの私の履歴書の話ですが、あの時は精神的に相当きつかった、かなり落ち込みました。そのあたりは、性別違和感がない方にはなかなか理解をしていただけないと思いますが。性別違和感というのは、ギザギザ、トゲトゲした、やっかいな嫌なものなので、何とかそれを解消しようと努力します。つまり、性別違和感は、性別を移行していく原動力になるわけです。

(3) 性同一性障害(Gender Identity Disorder=GID)とは?
基礎知識の三つ目は、性同一性障害とは何かということです。性同一性障害は、Gender Identity Disorderという英語の疾患名の日本語訳です。先ほど、性別違和感は性自認(性同一性)gender identityと身体的性sex、性自認と社会的役割gender roleの2カ所で生じると申しましたが、その2カ所の不一致に起因する性別違和感がどんどんひどくなっていった結果、著しい精神的苦痛や、社会生活・職場における機能障害、つまり、社会生活がうまくいかない、あるいは学校や職場でそこにうまく身をおけないという形になって、医療のサポートが必要になった状態をいう精神疾患概念です。「性同一性障害は病気ではないと思います」という学生がときどきいますが、「性同一性障害というのは精神疾患の名称なので、それを病気でないというのは概念矛盾で、成り立ちませんよ」と説明します。ただし、性同一性障害というのは性別違和感を原因とする社会的不適応の病であって、性別違和感を持っていること自体は病気ではないということです。ここはマスメディアが心の性と身体の性がズレていることが病気だというような説明をすることが多いのですが、それは間違いです。実は、自分の性の在り様が何かズレている、違和感があるという人は、けっこう多いのです。それは違和感の程度の問題でして、違和感があること自体を病にしてしまうのは、問題があると思います。そのような状態をとても苦痛を感じていて、社会生活上、不適応を起こしていることが病であると捉えないといけないと思います。

2 「性別違和」の現在
(1) この15年間の流れと最新の動向
次に、日本で性別移行の問題が社会的に浮上したこの15年ぐらいの流れをざっとおさらいしておきます。もちろんそれ以前から、性別を変えようと努力したいろいろな人がいたわけですが、やはり起点は1996年です。私立の埼玉医科大学の倫理委員会が、形成外科の教授から申請があったSex Reassignment Surgery、「性転換手術」、現在で言う「性別適合手術」を正当な医療行為として承認したことがニュースになりました。これはあくまでも一大学の倫理委員会の判断で、本来はそんなに大げさに報道することではないと思うのですが。それを受けて97年の5月に、日本精神神経学会が「性同一性障害に関する答申と提言」という、私たちが「ガイドライン」と呼んでいるものを出しました。これもかなり大きなニュースになって、このあたりから性同一性障害という病名が『現代用語の基礎知識』などにも載るようになってきました。98年10月に埼玉医科大学が「ガイドライン」に基づいたものとして初めての性別適合手術を実施しました。あくまでもガイドラインに基づいたものとしては初めての手術であって、性別適合手術自体は日本では1951年、世界でも指折りに早い時期からやっています。これは私が調べたことですが。
そんな流れの中で2002年の8月に六大学「学生相談」連絡会議で「性別違和を抱える学生をどう受け入れるか」という講演をさせていただきました。会場は中央大学で、私は中央大学の社会科学研究所の研究員という立場でした。その、きっかけは明治大学だったように覚えています。明大で、自分は男ですという女子学生、つまりFtM(Female to Male)の学生さんが出てきて、教授会で問題になったというお話でした。「問題になったというのは、対策が問題になったのですか」とうかがったら、そうではなく、「『明治大学の学生ともあろうものがけしからん』とある教授が言い出した」というお話でした。今からすると、とんでもない無理解ですが、この頃は、明大だけがそうだったわけではありません。
早稲田の学生部の方が「うちはいないと思います」と言ってきたので、「早稲田大学の学生数って6万人でしたよね。6万人いていなかったら、それはそういう人たちを選別して落としているという意味ですか」と尋ねたら「いや、そんなことしていません」と言う。「だったら、いるに決まっているんです。プライバシーの問題があるから誰ということは言えませんが、早稲田大はニューハーフ業界でもかなり名門ですよ」とお返事しました。法政大はカルーセル麻紀さんのお師匠さんの「青江のママ」さんが法政大の学徒出陣ですからもっと名門ですね。後でまた申しますが、性別の悩みを持った学生さんというのは、東京の私立の大きな大学だったら確率的に必ずいるのです。ただ、それがきちんと認識されていない、あるいは本人が隠しているというだけの話なのです、ということをそのときの講演で、お話しました。
あの講演、少しは効果があったかなと思います。例えば慶應義塾大学で、MtF(Male to Female)の学生さんの就職がなかなかきついということで、大学の職員として雇用してくださった例がありました。もちろん、本人にそれだけの能力があったからでしょうが。
大きく流れが変わったのは、2003年です。7月に「性同一性障害者の性別取り扱いの特例法」(GID特例法)が成立し、翌年の7月に実施されました。この7月でちょうど実施10周年になります。これを大学に関係させて言うと、大学の学部あるいは大学院在学中に学生・院生が性別の変更を行うことが合法的に現実のものになったということです。あるいは、教職員の方で性別を変更する方が出てくるかもしれないということです。
少し飛びますが、2013年、文部科学省が全国の小中高校と支援学級を対象に、いわゆる性別違和に悩む児童、生徒の一斉調査というものをやりました。本当に一斉調査なのかという疑問もあるのですけれども、私は良い面と問題な面と両方を感じています。結果的に性別違和を持つ児童、生徒は606人。うち性同一性障害の診断をすでに受けている児童、生徒が165人という結果が出ました。実際はもっといるはずです。ただこれも、どの範囲を性別違和と捉えるかによってだいぶ人数が違ってきます。何度も言いますが、この問題がとてもややこしいのは、どの程度の性別違和感までを病理として把握するかということです。
例えば、私は明大で260人ぐらい受講生がいます。後期、山梨の都留文科大学でも240人ぐらいを持っています。だいたいその200人越えぐらいの人数で、コメントシートやレポートなどで、自分の性別違和を書いてくる学生がだいたい毎年2~3人はいます。不思議なことになぜか女子学生が多いのですが。周囲が女の子扱いするのが嫌で学校に行きたくなかったというような、かなり辛い性別違和を経験している例もあります。その時点で診断を受けたら、多分、性同一性障害の診断が出るだろうと思います。ところが、その学生とたまたま面談すると、一応女子学生で適応していたりします。本人は「まだ今でも違和感があります、すっきりしない部分はあります。だから先生の授業を取りました。でも何とか女子大生でやっています」という感じですね。そういう学生たちは、今後、病院へはたぶん行かないでしょう。だからそこまでを病理の範囲に入れるか入れないかで、かなり話は違ってくるのです。
最新の状況についてもお話ししておきましょう。実は今、国際的な動きがいろいろあります。2013年5月にアメリカ精神医学会のマニュアル「精神疾患の分類と診断の手引き」の改定が行われ、「DSM-5」と言われる第5版が施行されました。そこで、gender identity disorder、日本語でいう性同一性障害をgender dysphoria性別違和という病名に置き換えました。ただ病名を変更しただけではなく、診断基準も手直ししているので、置き換えたという言い方をしています。その結果、アメリカでは、すでにgender identity disorder、性同一性障害という病名はなくなりました。やはり「disorder」という部分に抵抗感を強く持つ当事者が多いのです。これはアメリカの診断基準ですから、どう変えようが、本来なら日本は関係ないはずなのですが、実際には日本の精神科医もかなり影響を受けています。日本のメンタルクリニックや心療内科へ行くと、「どうされました?」と尋ねる先生の後ろの書棚に分厚いDSMのマニュアルが飾ってあることが多いのです。ちゃんと読んでいるかどうかは知りませんが、影響力はすごくあるのです。
さらに、日本は国際連合に加盟していて、国連の専門機関である世界保健機関WHOのメンバーです。WHOにはICDと言う疾患リストがありまして、本来はこちらが日本で診断マニュアル化されるべきものです。そのICDの改訂作業が現在進行中で、新しい第11版、ICD-11の施行が2017年に予定されています。性別違和に関して、かなり大きな改訂になりそうで、まず確定的なのは、gender identity disorder性同一性障害はなくなります。何という病名に置き換えるかまだ決定ではないのですが、どうもgender incongruence、性別不一致という病名に置き換えられそうです。さらに重要な変更は、今までの精神疾患のカテゴリーから「その他の疾患」のカテゴリーに移す案が有力視されています。そこらへんの情報は2014年2月にバンコクの国際学会で仕入れてきた最新のもので、日本で知っている人はまだそんなに多くありません。
このまま実現すれば、gender identity disorder性同一性障害という病名は、国際的な疾患リストから完全に消えます。ですから、日本でも病名を変えなければなりませんし、「性同一性障害者の性別取り扱いの特例法」という法律名も変えなければいけなくなります。そして性別移行の脱精神疾患化が達成されることになりますが、この点はまだ少し不確定な要素があります。
ということで、現在は過渡期でありまして、2000年代に入って高まってきた性別移行の脱精神疾患化という世界的な流れが結実するかどうか、微妙なところに来ています。日本はそういう世界的な潮流にはまったく鈍感ですが、いずれそういう方向に行かざるを得ない、行くべきだということです。

(2) 性別移行システムの問題点
問題点を整理しておきましょう。2000年代、「GID特例法」制定の前後からにメディアが活発に性同一性障害について報道をしました。しかし、その報道は医療側の言説をそのまま流すという形で、病気だから仕方ないから戸籍を変えるのだという流れになってしまい、本来、考えなければいけない性的マイノリティの人権という視点が希薄化してしまいました。病気ということなら認めましょうという流れ、性別移行の病理化が一気に進行してしまったのです。それでうまくいった人もいるわけで、それはそれで結構なのですが、世界の流れは、2000年代に入って、むしろ病理化ではなく脱病理化、具体的には、性別移行を精神疾患概念からどうやって外していくかという脱精神疾患化の方向に向かっていました。ところが、日本は世界的な潮流とまったく逆行して、この10年間に病理化を推進してきたわけで、大学も「対応しますから、診断書を出しなさい」、さらに高校や中・小学校まで「診断書を出しなさい、診断書を出したら対応しますよ」という、形になってしまいました。性同一性障害概念の流布によって、性別移行の病理化が極端に進みすぎてしまい、病理を前提にしないと社会的対応ができないような仕組みができてしまいました。これは大きな問題です。今後、こうした病理を前提にしたやり方を人権を前提にした考え方に変えていかなければなりません。
先ほど申しましたように、弱い性別違和を持つ人は、けっこうたくさんいます。おそらく100人に数人レベルでいると思います。弱い性別違和をもつ人たちの多くは自然に解消する、あるいは自分で折り合いがつく可能性があるわけで、病理化する必要はないのです。ところが、医者の中には、性別違和感を持つ人すべてを病理化しようとする、性同一性障害の診断基準から外れるような弱い違和の人までを性別違和症候群として把握するような形が理想とする医師もいます。病理化の徹底ですね。そこには、自分にふさわしい性の在り様を自分で選んで決定するのは人権の一つであるという発想がないわけで、まったく困ったものです。
性別移行の当事者の方も、戸籍の性別変更が目的化してしまって、「GID特例法」の要件をクリアするため、ともかく性別適合手術をするという状況が生じています。必ずしもしなくてもいい手術まで受けてしまう過剰な医療化です。今、世界的にはIDカードなどの性別の書き換えに手術を要件とするのは人権侵害だという方向になっています。つい1カ月ほど前に、WHOが性別の移行に関して性別適合手術を要件化するのは人権侵害という勧告を出しました。日本の「GID特例法」は手術して生殖機能を喪失しないと性別の変更は認めない形ですから、WHOの勧告に完全に抵触します。日本の現状は、世界の性転換法の中で人権意識の低い、遅れた形になってしまっています。
病理化の徹底、過剰な医療化を進めながら、実は国内の医療施設がまったく足りません。患者は激増したのに、医療施設が増えないのです。だから手術をするのにみんな海外、主にタイへ行かざるを得ない。日本の医療というのは、面倒くさいことは全部外注してしまう傾向がありますが、まさにその典型です。
過剰な医療化、あるいはアンバランスな医療化の弊害が実際に出てきています。性同一性障害の診断を受けたのにジェンダーの移行がなかなか進まない。これは何か違う精神的な原因で引っ掛かっていると思われます。さらには、性別適合手術を受けて戸籍変更までしながら、新しい性別で社会適応ができない。たとえば、身体の外形も戸籍も女になりました。だけれど女性として社会適応ができませんというケースが増えているように思います。大学でこういう形が出てくると、なかなか対応が難しいことになります。

(3) 性別違和の人口比
性別違和を抱える人はだいたいどのぐらいの比率なのか、皆さんけっこう気になるのではないかと思いますので、その話をしましょう。
もともと欧米では、私のような男性から女性への移行を望むMtFが3万人に1人、逆に女性から男性への移行を望むFTMが10万人、つまり、MtFとFtMの比率は3対1と言われていました。このデータ、実はあまり信用度が高くないのですが、日本で90年代末に性同一性障害の問題が浮上したとき、どうも日本はFTMが少し多いのではないか、MtFが1~2万人に1人、FtMが3万人に1人、MtF対FtMの比率は2対1くらいに考える人が多かったと思います。ところが、どんどんどんどん差が詰まっていきまして、2000年代の初めぐらいには、MtF、FtMを通じてだいたい1~2万人に1人、MtF対FtMは1対1に近い。もうこの時点で、世界の研究者から「日本のデータが変じゃないか?」と言われ始めていました。さらに2008年ぐらいから、中高大学生ぐらいの若いFtMが急増して、MtFとFtMの比率が1対1.5~2と完全に逆転してしまいます。
私の授業では、2008年に放送された「ラストフレンズ」というテレビドラマの中で、ボーイッシュなレズビアンっぽい女性が性同一性障害だと思ってメンタルクリニックに行くシーンを学生に見せて、メディアのミスリードが現実世界に影響しているのではないかという話をするのですが、2008年ぐらいから様子ががらっと変わってきました。その後も女性から男性になりたい若い人の増加傾向がずっと続いていて、現状MtFとFtMの比率は1対3、90年代とは完全に裏返しになっています。人口比で言うと、MtFが1万人に1人か2人。MtFはあまり変わっていません。FtMが1万人に3人くらいという状況です。現状、日本は世界で最も顕著にFtMの比率が高い国になっています。
性別違和が重く性別適合手術をして戸籍の性別変更をした人が、2013年12月末現在で、全国で4353人というデータが出ています。このペースだと2014年末には5000人を超えるのは確実ですので、だいたい2万人に1人が戸籍の性別を変更しているということになります。
10年前に法律ができたときには、こんなに多いとは思いませんでした。年間50人ぐらいだろうと予想していました。年間50人だと10年で500人ですから、10倍ぐらい予想より多いというのが今の状況です。
なぜ、こんなに多いのか、そしてFtMの比率がこんなに高いのか。とても重要な問題なのですが、誰もきちんとした説を出していません。私が頑張って考えているのですが…。要は、全体に増加傾向にあるということと、特にFtMが増えているということを頭に置いておいてください。
それから、2010年代に入ると、あるお医者さんの言い方で「確信的でない受診者」が増えています。以前、メンタルクリニックに来る人は、かなり確信的に「私は、心は女なのに、男性なのです」とか、逆に「俺は絶対男だと思うんだけど、女なんで何とかしてください」というタイプが圧倒的でした。ところが最近は、「自分の性別がよく分からない」とい言う人が増えてきています。これをXジェンダーといいます。数学で不明数をXとするのと同じです。そういう人たちは「自分はXです」と言います。男ではないと思うけれども女でもないMtX。女ではないけれども男でもないFtXというタイプです。これが現実にかなり増えていて、理由を考えなければと思うのですが、まだ調査が進んでいません。私は弱い性別違和までを病理化してしまった結果、本来だったら男女どちらかに折り合いをつけるべきところを折り合いがつけられない人が増えてきているのだろうと思っています。それから女性に多いと思うのですが、いわゆる成熟拒否、大人の女性になりたくない。できるだけ猶予期間を長引かせたいという人も含んでいると思います。
こういう現状で、数値モデルを整理しておきますと、弱い性別違和を持つ人が100人に2~3人、医療が必要な強い性別違和を持つ人がそのうちの100人に1人ぐらい、つまり1万人に2~3人という話になります。さらに戸籍変更に至るまでの人は、そのうちの8~9人で、10万人に5人、2万人に1人。ここはかなり確定的なデータが出ていますので、こんなモデルが作られるわけです。私はどちらかと言うと少なめに見積もっていますが、そんなに違ってはいないと思います。
明治大学の学生数は2万9千人だそうです。このモデルに合わせると、強い性別違和を持つ学生は1万人に2~3人ですから、6~9人ぐらいいて当たり前ということです。1万人に2~3人というのは全人口比ですから、大学在学年齢だともっと多いと思います。何10人ということではありませんが10数人いてもおかしくないということです。何度も申しますが、いて当たり前だという認識がとても大事です。
さらに言うと、まさに10代後半ぐらいの年齢層では、自分の性別がよく分かりませんというXジェンダー的な学生がだいぶ増えているはずです。おそらく「性同一性障害」のカテゴリーに入る学生と同じくらいいるかもしれません、かなり強い性別違和を持つ学生が仮に10人いたとしたら、曖昧な形で何か性別に悩んでいるような学生も、もう10人ぐらいはいるという勘定です。これだけいたらもう珍しい話ではありませんので、そういう学生が相談に来た時の対応マニュアルをきちんと作っておくべきです。ただし、マニュアルは、個々のケースに応じて弾力的に運用することが大事です。

3 大学はどう対応すべきか
では、大学は具体的にどういう対応をしていけばいいのかについてお話しします。ここからは私の主観的な意見になっていくわけですが、実を言うと12年前にお話ししたことと基本は変わっていません。自分でも頑固だなとは思いますが、12年前から言ってきたことが今、現実になっている感じがありますので、少し自信を持っています。

① いて当たり前という基本認識
先ほども申しましたように、ある程度の規模の大学なら強い性別違和感を持つ学生が在籍しているのは確率的に当然で、まったく特異なことではありません。いて当たり前だという基本認識を持ち、いると思って対応すべきなのです。不思議なことでも特異なことでもないということです。

② 基本的には本人の自主性に任せる(放っておく)
異性装、身体の性別とは違う服装をするとか、性別を越えて生きるということ自体は、病でも性的逸脱でもありません。客観的には「変わり者」かもしれませんが、現在の日本では法律で禁止されているわけでもありません。日本で異性装が違法だったのは、明治5~6年から14年(1881)までの約10年間、文明開花期だけです。基本的に、服装表現、性別表現、ジェンダーの選択は個人の自由で、人権として認められるべきものです。つまり、本人の自主性にまかせるべき問題で、そうした学生がいたからといって、大学のほうから積極的に介入する必要はありません。基本的には放っておくべきことなのです。性同一性障害なんていう話が出てくる以前にも、書類上は男子学生だけどずっと女の格好で大学に通っていましたという人は実際にいます。もちろん大学側は気付いていたはずですけど、処分するようなことはできませんし、結局そのまま「あいつは変わっているな」で卒業してしまったという話です。基本的には放っておく、でも、なにか困って相談に来たら、ちゃんと対応するということが大事なところです。

③ 環境整備に努める
性別を移行したい学生にとって一番困るのは、学生名簿の男女欄など、学内における性別記載です。日本の大学、例えば文学部だったら文学士という学位を出します。文学士男とか、文学士女という学位ではないわけで、男だろうが女だろうが……女子大は別ですが、明大は共学なので、いちいち学生名簿に男女欄とか男女の識別記号はいらないはずです。学生証の性別記載欄も同様です。性別で引っ掛かってしまう学生にとっては、引っ掛かる場所がたくさんあるのは辛いものなのです。
これは何も大学だけではなく、世の中がそういう方向に向かわないといけません。たとえば住民票の申請をするのに何でいちいち男女欄に丸を付けなければいけないのか。あるいは選挙で投票するのに、なぜいちいち投票場の入場券に男女と書いてあるのか。そういう問題を私たちトランスジェンダーは、10年以上、いろいろ問題化して社会に働きかけてきました。実際、ずいぶん減っているのです。私が住んでいる川崎市では、投票場の入場券に以前は男・女とはっきり書いてあったのが、記号化されてあまり目立たなくなっています。大学も同じように、環境整備としてそうした必ずしも必要でない性別記載欄を減らしていく方向で行くべきだと思います。
今ちょうどレポートの採点時期で、昨日も履修者名簿を見ていたのですが、明大の名簿には、名前の欄の尻尾のところに、女子学生だけ「F」という記号が付いています。これは必要でしょうか。前もそんなお話をしたら、名前を呼ぶ先生が、男なら何とか君、女なら何とかさんと、敬称を変える必要があるからというお話でした。でも、1回目の授業のときに先生が「この学生は女子」と個人的にチェックしていけばいいわけで、公的な名簿で性別表記をする必要があるのかということです。そもそもなぜ男子と女子で敬称を変えなければいけないのでしょうか。全員「さん」で問題ないでしょう。私が関わっている大学では、都留文科大学と東京経済大学の名簿には、性別を示す記号はありません。こういうことは慣例でずっとやってきたことなので、それに慣れているとなかなか変えにくいのかもしれませんが、本質的によく考えていただきたいと思います。実際に男女の別が必要なのはごくごく限られた、例えば体育実技などだけだと思います。体育実技だって男女一緒のスポーツでやっている場合は、そんなに必要もありませんね。

④ 何が障害になっているのかを聞く
先ほど申しましたように、基本的には放っておくべきなのですが、性別に悩みがある学生が相談に訪れた場合は、何が問題なのかをきちんと聞くことが大切です。この場合、悩みが性自認の問題なのか、あるいは性的指向の問題なのか、分別すること必要です。ただし、相談に来ている学生自身がよく分かっていないことがけっこうありますから、相談を受ける側がそこらへんを整理しながら聞いていくことが必要になります。その学生にとって何が一番の問題なのか。たとえば、自分は男なのに男が好きということで悩んでいるのか、自分は男なのだけど、どうもそれに馴染めない、自分の中身が女のほうにズレているという悩みなのか、ということです。
実は、前に触れた文科省の全国一斉調査は、この部分の指示がないのです。つまり、性に違和感がある、友達と性のあり方が違うという子供が、それは性的指向が違っているのか、それとも自分の性別に対する違和感なのか、小学校段階できちんと分別がつくはずがないのです。中学生だってあやしいです。それを一緒にして、あたかも性同一性障害の予備軍的に見るのは大きな間違いです。人数的には性同一性障害よりも同性愛のほうが圧倒的に多いはずですから。
先日、朝日新聞の教育欄に、大学におけるLGBT――レズビアン、ゲイ、バイ・セクシャル、トランスジェンダーの学生のサークルがすいぶん増えてきたというニュースが載っていました。明大の私の受講生にも、そういうサークルを立ち上げて熱心に活動しているレズビアンの女子学生がいます。各大学を結ぶインターカレッジ的なつながりもできてきているようです。
ゲイ、レズビアンの学生たちは、自分たちで何とかやっていける人も多いのです。それに対して、性別違和を抱える学生は、身体の問題もありますので、悩みを内に抱えてしまう傾向があり、そういう学生が相談に来る可能性が高いと思います。その場合、最初から性同一性障害という病気と決め付けるのではなくて、何に困っているのかから入るべきです。例えばトイレ。性別の問題が引っ掛かる人には、いわゆる「誰でもトイレ」(多目的トイレ)を使うようにアドバイスするのが一般的ですが、私の講師控室があるリバティタワーの3階は、少し進みすぎていて、車椅子でも入れるトイレが男女別に…女子トイレの中にあるのです。そうなると、またややこしい状況が出てくるわけです。トイレの問題は、性別に悩みがある学生には切実な問題なので、大学のどこかに誰でも使えるユニバーサルなトイレが確保されていることが必要です。

⑤ 知識を提供する
性の問題というのは多様ですので、適当な参考書を紹介して知識を提供して、その多様な性の形態の中からもっとも自分にふさわしいジェンダー&セクシュアリティのあり方を自分で選択させることが大事です。具体的には野宮亜紀、針間克己ほか著『性同一性障害って何? ―一人一人の性のありようを大切にするために (プロブレムQ&A)』(緑風書房、2011年増補改訂版)などがよいでしょう。私もジェンダー論の授業の最初と最後に、「この授業が皆さんにとって一番心地よいジェンダー・セクシュアリティのあり方を見つけるための手がかりになればうれしいです」という話をします。これは性的なマイノリティの人たちも全く同じで、自分が何なのだということをきちんと自分なりに理解をしていかないと、自己肯定感が生まれないのです。セクシュアル・マイノリティはゲイ、レズビアンでもトランスジェンダーでもそうなのですが、最終的にはマジョリティーとは違う自分の性のあり方を、私はこうなのだ、私はこれでいいのだと自己肯定できないと、悩みはいつまでも続いてします。私などもある程度の自己肯定はできても、なかなか100パーセントの自己肯定には至りません。その難しい自己肯定の材料をどう与えていくか、サジェスチョンをしていくか、とても大事だと思うのです。

⑥ 必要な場合は専門医を紹介する
自分の体が嫌で嫌で仕方がないというような強い身体違和、FtMだったら生理が来るたびに死にたくなるとか、MtFだったらシャワーを浴びるたびに自分のペニスを切断したくなるようなケース。あるいは、ジェンダー違和が強くて、家から出られない、学校にも行けないような性別違和感に由来する社会的不適応を訴える学生は、放置できません。放置をすると本当に自殺を企ててしまうか、修学が継続できなくなってしまいます。そういうケースでは、性同一性障害の専門医を紹介して、専門的なカウンセリングを受けるように方向付けることが必要です。
この点については、明治大学駿河台校舎は日本一恵まれています。日本における精神科領域の性別違和、性同一性障害問題の第一人者である針間克己先生が2008年に神田小川町3‐24‐1に「はりまメンタルクリニック」を開院したからです。私はリバティホールで授業をやっていますが、リバティホールからだと信号に引っ掛からなければ3分で行ける距離で、本当にすぐそこです。私が明大で初めて講義を持った2012年前期、「あれ?何か社会人学生にしてもばかにひねた大人が後ろのほうで聞いているな」と思ったら針間先生でした。たまたま先生のクリニックは火曜日の午後が休診で、私の講義が火曜日の午後の1コマ目だったので聴講していたのです。東京大学医学部を出た先生が、私なんかの講義を聞いて少しでも勉強しよういう謙虚な姿勢、すばらしいです。ただ、明大の授業をただ聞きしていたわけですから、何かあったときに少し無理を頼んでも嫌とは言えない立場です。専門的なカウンセリングが必要な学生がいたら、ぜひ紹介してください。残念ながら、性同一性障害の診察で、私が自信を持ってご紹介ができるメンタルクリニックは、東京近辺に3つしかありません。他に千葉県浦安市の阿部輝夫先生の「あべメンタルクリニック」、埼玉県さいたま市の塚田攻先生の「彩の国みなみのクリニック」ですが、針間先生のところが一番近いです。

⑦ 学内で可能な限り対応措置をとる
MtFが学内での女性扱い、FtMが男性扱いを希望する場合は、通称名の学内使用をはじめ可能な限り対応措置をとっていただきたいと思います。ただ、なかなかやっかいなのは、希望する性別への適合度です。一目見て、「あなた、どう見たってそれで男子学生は無理でしょう、女子学生の方が自然でしょう」というようなMtF、あるいは「それで女子学生は無理でしょう」というようなFtMの学生だったら大きな問題はないと思います。しかし「う~ん、微妙と」というケースもしばしばあります。そうしたケースは、ある程度、1年くらいの観察期間が必要だと思います。中には精神的に不安定な学生もいて、ガーッとどちらかの性別に偏って、少しすると熱が冷めるというようなケースもあります。あまり性別をコロコロ変えられるのは、大学の事務としては困るでしょうから、基本的には、4年間、卒業までの継続性を前提に、学生が求める措置を取って欲しいと思います。

⑧ 性別移行プロセスへの協力
在学中に戸籍名を望みの性別にふさわしいものに改名したり、戸籍の性別を変更したりする学生、院生が出てくることは、現在の性別移行システムで十分にありうることです。現在のガイドラインでは、クロスホルモン―男性だった人に女性ホルモンを投与、女性だった人に男性ホルモンを投与すること―は、場合によっては16歳から可能です。戸籍の変更要件は20歳以上になっていますが、外国で性別適合手術を受けるだけならその前でも可能です。つまり、入学以前からクロスホルモン投与を受け、在学中に性別適合手術をして、戸籍の性別を変更して、卒業証書は新しい名前と性別でもらって、望みの性別で社会に巣立つという人生計画を立てる学生が出てくるということです。それは現在、認められている性別移行システムに沿ったものなので、そうした性別移行のプロセスに、大学はできるだけ協力をしてあげてください。

⑨ いっそうの就労支援
問題は、戸籍の性別変更がまだ済んでいない学生、あるいは、性別は移行するけども戸籍の性別まで変えるつもりはない学生の場合です。そうした学生の場合、最大の難関は望みの性別での就労です。私もそれでさんざんそれで引っ掛かってきたわけです。日本の大学は非常勤でトランスジェンダーの教員を任用するところまでは来ていますが、常勤ではまず採らないでしょう。それが日本の現実です。ただ、この点に関しては、日本が遅れているわけではなく、外国だと非常勤でもトランスジェンダーは採用しない国はけっこうあります。日本は非常勤ではあるけれど、トランスジェンダーを大学教員に採用していますという話をしたら、外国の研究者に「great、素晴らしい」言われたことがあります。私の場合、年齢的にもう仕方がないなと諦めていますが、若いトランスジェンダーの学生にとっては、やはり就職が最大の難関です。前から言っていることですが、就職課が格別の配慮、一般学生に不平等にならない程度にできるだけのバックアップをしていただきたい。能力が十分にあるトランスジェンダー学生が性別の問題だけで就職ができないということは、その学生だけでなく、社会全体にとっても損失ですし、それは何とか避けたいと思うわけです。
性同一性障害の場合、会社に入ってから性別移行をしたとして、それを理由にした解雇は違法という判例が固まっていますので、入社してからは首を切れません。性同一性障害を理由に解雇して裁判になったらほぼ確実に会社側が負けます。さすがだなと思ったのは、判例が出た頃に企業の総務課や人事課の人たちが読む専門雑誌に、さっそくその判例が紹介されていました。きちんと勉強している企業の労務管理担当者は知っているはずです。ですが、採用段階での就労差別はかなりあります。「戸籍を変更されてからもう一度当社をご受験ください」という形で門前払いするケースです。ですから、学生にしてみると、とりあえ生得的な性別で入社して、入ってから性別を移行するという手もなくはないです。でも、「就職のときは、そのことを隠していたのか」という信義の問題になりかねませんので、なかなか難しいところです。何度も言いますが、就労問題が最大のネックですので、何とかバックアップしていただきたいと思います。

⑩ 望みの性別で生きて行くための社会訓練の場としての大学
実は今、小・中学校では、性別違和を抱える児童、生徒がいると、隔離的、特別に扱って「どこどこの病院へ行って診断書を取って来てください」というように、問題を性同一性障害医療に委ねてしまう形がけっこう多くなっています。大学レベル、ましてや明治大学みたいなトップクラスの大学だったら、そんな安易な方法は採らないと思います。医療の手に委ねてしまうのではなく、大学という一つの社会で性別違和を抱える学生を受け入れていくという姿勢が望まれるわけです。トランスジェンダーの学生が望みの性別での生活を円滑にできるようになるためには、トレーニング期間が必要です。いずれ望みの性別で社会に出て行かなければならない学生にとって、大学の4年間プラスアルファが、トレーニング、社会訓練の場になるわけです。大学はそれをサポートする方向で対応してほしい、そうした姿勢を持って欲しいということです。
私は2002年に「トランスジェンダーと学校教育」という論文を書いているのですが、私が書いた論文の中で一番読まれません。どうしてなのだろうと思うのですが、どうも、現実の学校現場の先生とだいぶ意識が違うようなのです。たとえば、先生方は「男女別に並べるときにどうしたらいいのですか?」と質問してきます。私が「男女別に並べること自体を考え直した方がよろしいのではないですか」と返事をすると、ものすごく不満な顔をされてしまいます。前例が無いケースが出て来た時には、前例に合わせようとするのではなく、従来のシステムを再検討して新例を開くという姿勢が大事だと思います。

おわりに
2014年2月にタイのバンコクでWPATH2014という国際会議が開催されました。WPATHというのはWorld Professional Association for Transgender Health、トランスジェンダーの健康のための世界専門家会議という団体です。今回が第23回でしたが、今までずっと欧米で開催されていて、今回が初めてのアジア開催でした。そこでアジア・太平洋地域のトランスジェンダーをできるだけ集めて「Trans People in Asia and Pacific」というシンポジウムをやろうということになりました。とはいえ、これがなかなか大変で、トランスジェンダーは、お金持ちではない人がほとんどなので、飛行機代、滞在費を世界開発機構、世界エイズ会議など国際連合の4機関が資金提供して、アジア・パシフィック10カ国、最終的は日本も入って11カ国のトランスジェンダーがバンコクに集まりました。私も招待状をもらったのですが、日本はOECD加盟国で、世界開発機構ではお金を出す立場でお金をもらう立場ではない、だから日本の研究者には資金提供はできないから旅費と滞在費は自分持ちで来てくれ、というという話で、「それはあんまりな・・・」と思いました。お金のことはともかく、世界のどの国にも、トランスジェンダーはいるということです。いろいろ困難な状況はあるけれども、それぞれの国でそれぞれの社会の中で頑張って生きているわけです。
そうしたシンポジウムで、とても考えさせられたことがありました。全部で12人が各国の事情を報告したのですが、12人のうち11人がMtFなのです。私以外のMtFは、フィリピン、インドネシア、タイ、ネパール、インド、そしてトンガ、みんな英語がペラペラで、パワーポイントできちんと資料を作ってきて、しっかりプレゼンテーションをできる能力があります。ところが、FtMの人はそうしたプレゼンテーションができないのです。12人中1人だけ、しかもニュージーランドの活動家でしたから、少し事情が違います。
どういうことかと言いますと、アジアの国で、女性として生まれて女性としての教育を受けてきた人は、開発途上国における男女の教育格差を被ってしまうのです。女で育てられると、なかなか十分な教育が受けられない。それで男になっても、一定の知的レベルが求められる社会的活動がなかなか難しいのです。
この例のように、性別を変えて生きる人たちにとって、大事なのは教育なのです。社会に出て一般の人よりももっと厳しい状況の中で生き抜いていくための力になるのは教育です。教育をきちんと受けられるかどうかが鍵なのです。実は、日本もそういう傾向があって、日本で今FtMがこんなに多くなっているのに、日本から参加して報告したメンバーは2人ともMtFでした。残念ながら、国際学会で通用するレベルのプレゼンテーションができるFtMは、日本ではほとんどいません。なぜかというと、FtMの最終学歴は、MtFに比べて明らかに低く、高校中退レベルの人がかなりいます。そうした状況は徐々に改善されてきていますが、制服とかいろいろなことで引っ掛かってしまって修学が継続できず、その結果、低学歴で終わってしまって、学力やスキルが伴わないFtMがまだかなりいるのです。
社会の中でより良く生きていくための力を大学教育の中で身に着ける必要性は、一般学生でもトランスジェンダーの学生でもまったく変わりません。むしろトランスジェンダーであるがゆえにその必要性は高いのです。そのためには、何度も言うように修学が継続できる……きちんと卒業ができて、できることなら望む方面に就職ができるようなバックアップを、明治大学だけではなく全国の大学でぜひとっていただきたいと思います。
だいたい予定の時間になりました。3年前、明大に非常勤で呼んでいただいた時から、いつか講義以外でもお役に立てる機会があればと思っていましたので、今日はこういう機会をいただいて、とてもうれしかったです。どうもありがとうございました。
(紙幅の都合により、講師紹介及び質疑応答は割愛させていただきました。)

【参考文献】
三橋順子「『性』を考える-トランスジェンダーの視点から-」
 (シリーズ 女性と心理 第2巻『セクシュアリティをめぐって』 新水社 1998年)
三橋順子「トランスジェンダーと学校教育」
 (『アソシエ』8号 御茶の水書房 2002年)
三橋順子「トランスジェンダーをめぐる疎外・差異化・差別」
(シリーズ「現代の差別と排除」第6巻『セクシュアリティ』明石書店 2010年)