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2005年12月09日 お茶の水女子大学講義(9回目) [大学講義(お茶の水女子大学)]

2005年12月09日 お茶の水女子大学講義(9回目)

12月9日(金) 晴れ

10時半、起床。

朝ご飯は、ツナとチーズのパニーニとコーヒー。

12時、仕事場へ。
途中、郵便局、銀行に寄る。
メールチェックの後、「セクシュアル・サイエンス」の座談会の手直し原稿を送稿。

身支度。今日は時間を計測。
シャワーを浴びる。下着をつける。10分。
化粧をする。ゆっくりやって20分。
髪ををポニーテールにまとめる。10分。
着物を着る。普通にやって20分。
ということで、普通のペースで、下準備さえちゃんとしておけば、お支度は1時間でできることがわかる。
昔は、洋装で2時間かかったのだから、ずいぶん早くなった。

今日の着物は、赤地に黄色の細い格子柄の大島紬。
帯は、黒と銀の鱗柄。
半襟は緑色、帯揚は辛子色、帯締は山吹色。
黒のファーのマントをまとう。

14時半、少し早めに家を出て、霞ヶ関駅経由でお茶大へ。
正門からのイチョウ並木、まだけっこう黄色い葉っぱを残している。
もう12月も半ばに近いのに、まだ冬木立という感じにはなっていない。

レジュメを印刷。
今日は、A4版5枚、各90枚。

授業の前に、ジェンダー研究センターに寄って出勤簿に押印。
チョコレートをご馳走になる。

16時40分、講義開始。
歴史篇「トランスジェンダーの社会史(3)-戦後日本の性別越境者(MTF)たち -」の続き。総論的な話は前回したので、今日は1940年代から時代順に図版を参考にしながらトピックを追って行く。
戦後60年を1コマの講義でやるわけで、かなり駆け足にならざるを得ない。

1.1940年代後半(1945~1949年:昭和20~24年)
・ 敗戦後の社会的混乱期。
・ いち早く、商業的なトランスジェンダーである女装男娼(女装のセックス・ワーカー)が顕在化する。→「上野(ノガミ)の男娼世界」
・ それ以外のトランスジェンダーな存在(女装願望者・性転換願望者)や男性同性愛者も、まだほとんど潜在した状態。→ 戦後日本トランスジェンダー社会の原風景

2.1950年代(1950~1959年:昭和25~34年)
・ 戦後の社会的混乱が一応終息し、生活が安定を取り戻つつあった時代。
・ 新たな商業的トランスジェンダーとして、男性同性愛をベースにした飲食接客業であるゲイバー世界が形成される。
・ ゲイバーで働くゲイボーイは、美少年系と女装系とが混在していた(未分離なカオス状態)。
・ 性転換者が顕在化する(1951年2月手術完了、1953年9月報道の永井明→明子が日本の初例)。
・ アマチュア女装者の胎動が始まる。→「演劇研究会」

3.1960年代(1960~1969年:昭和35~44年) 
・ 日本が高度経済成長期に入った時代。
・ 男性同性愛者の世界とゲイボーイ世界の分離が始まる。
・ 非営利の女装愛好秘密結社「富貴クラブ」が活発に活動し、アマチュア女装者という概念が確立する。
・ 性転換女性のショー・ビジネスでの活動がマスコミに注目される。
・ 1965年9月、性転換手術を行った医師が摘発される。→「ブルーボーイ事件」
・ 丸山(美輪)明宏、ピーター、カルーセル麻紀など性別越境者の芸能活動が活発化する。

4.1970年代(1970~1979年:昭和45~54年) 
・ 日本経済が安定成長期に入った時代。
・ ゲイボーイの女性化が進行する。→ カルーセル麻紀(1973年、モロッコで性転換手術)
・ アマチュア女装者の集団の中に、セミプロ的な色彩をもった新宿女装世界の原型が形成される。→ 女装バー「ふき(梢)」(1967年開店)
・ 1970年の「ブルーボーイ事件」有罪判決により国内での性転換手術が潜在化する。

5.1980年代(1980~1989年:昭和55~平成元年)
・ 経済大国日本がバブル経済に突入していった時代。
・ 男性同性愛世界との分離がほぼなされる。
・ 商業的トランスジェンダーの世界に新しい呼称「ニューハーフ」が登場。
・ セックス・ワークの業種として「ニューハーフ・ヘルス」が出現。
→「ニューハーフ・クラブ」(1984年)
・ アマチュア女装の世界に最初の商業女装クラブが出現。→「エリザベス会館」(1979年)
・ セミプロ的な新宿女装コミュニティが女装バー「ジュネ」を中心に形成される。

6.1990年代前半(1990~1994年:平成2~6年)
・ バブル経済が崩壊し、日本が政治・経済・社会の変革期に突入した時代。
・ 「Mr.レディ」、「TV(トランスヴェスタイト)」、「TS(トランスセクシュアル)」「TG(トランスジェンダー)」など新しい概念が次々に登場する。
・ 女装世界の中心が、非社会的な「エリザベス会館」から社会性のある新宿女装コミュニティに移行する。
パソコン通信による女装者の情報交換、相互交流が始まる。 →「EON」(1990年)、「スワンの夢」(1990年)

7.1990年代後半(1995~1999年:平成7~11年)
・ 平成大不況時代。
・ 性同一性障害(GID)問題が浮上(1995~7年)し、GID自助クループが発足する(1996年)。
・ クィア・ムーブメントがトランスジェンダー世界へ波及し、トランスジェンダー芸術やドラァグ・クイーンが登場する。
・ パソコン通信、インターネットの普及によりる情報流通の活発化し、それを背景に、新宿トランスジェンダー・コミュニティが活性化する。
・トランスジェンダーに対する社会的認知が急速に進み、芥川賞作家(藤野千夜)やアナウンサー、大学講師など、芸能、飲食接客、セックスワーク以外の職種へのトランスジェンダーの社会進出が始まる。

今日、つくづく思ったのは、学生さんと私との30年に及ぶ年代差。
つまり30年分、学生さんたちが経験してなくて、私は経験しているという年代があること。
この「共有していない時代」が、実にしゃべりにくく、もどかしい。

具体的に言うと、1940年代のところで「東京が焼け野原だった」ということは、学生さんはもちろんはもちろん知らないが、私も実際には知らないので、言葉にして語る術をもっている。

ところが、私が実際に知ってて、学生さんが知らない時代、例えば、東京オリンピック前後の高度経済成長期の、あのすべてがどんどんん変わっていくめまぐるしい時代相とかを語るのは案外難しい。
まして、私にとってはついこの間のバブル期のことになるといっそうギャップがひどくなる。
あの今になっては懐かしく馬鹿馬鹿しい高揚感を言葉で語る術を私はもっていなかった。
つい「ほら、あの感じ、解るでしょう」と言いたくなってしまう。
でも話を聞いている彼女たちは、バブル絶頂の1990年には3~6歳なので、「あの感じ」が解るわけないのだ。
現代史を教えることの難しさを、改めて痛感。

今日は珍しく授業後の質問に誰も来ない。
少し話がマニアック過ぎたかな?

帰路は、池袋経由。
渋谷の東急東横店の「ハイネット」に寄る。
結い直しをお願いして預けっぱなしだったウィッグを受け取る。
このお店、たぶん1995年頃から10年間、お世話になった。
今後、伸ばしてる髪を切らなければいけないような事態にならない限り、少なくともしばらくはご無沙汰することになるだろう。
ちょっと感慨。
手間のかかるウィッグの結い上げ(←今時、珍しい)を、美容院1回分の比較的安い料金(6300円)でずっとやってくれた。
私の社会進出を陰で支えてくれたお店のひとつで、とても感謝している。

19時20分、学芸大学駅に着く。

いつものパターンで、東口商店街の居酒屋「一善」へ寄る。
生ビール1杯、ウーロン茶1杯。
肴は、しまあじの刺身、モツ煮込み。

21時、仕事場に戻る。
メールチェックの確認だけ。

22時半、帰宅。

夕食は、作り置きの筋子の醤油漬けとトーフヨウでご飯を軽く1膳。

お風呂に入った後、お茶大の講義レジュメ(次回)作り。
数日前に作ったものを大幅に手直し。

続いて、論文「戦後東京における『男色文化』の歴史地理的変遷」(26000字)をプリントアウトして校正作業。
ベッドに横になって、3分の2ほどまで見たところで、意識を失う。

就寝4時(たぶん)。

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