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2005年11月25日 お茶の水女子大学講義(7回目) [大学講義(お茶の水女子大学)]

2005年11月25日 お茶の水女子大学講義(7回目)

11月25日(金) 晴れ

10時半、起床。

朝ご飯は、いつものようにトースト1枚、生ハム4枚、レタス。

12時半、仕事場へ。
メールチェックだけして、身支度。

着物は、灰茶色に青の平行四辺形模様の伊勢崎銘仙。
帯は、赤・黒・樺色の縞。
半襟は緑系。帯揚は辛子色、帯締は山吹色。
黒のファーのマントをまとう。

15時少し前、家を出て、霞ヶ関駅経由でお茶大へ。
早速、レジュメを印刷。
A4版6枚、各90枚。

授業の前に、ジェンダー研究センターに寄って出勤簿に押印。
今日が全14回の授業の7回目で、ちょうど折り返し地点。

16時40分、講義開始。
歴史篇「トランスジェンダーの社会史(1)-前近代日本の異性装者たち-」の続き。

5.陰間-江戸時代の「ニューハーフ」(商業的女装者)の話から
まず、近世社会の商業の発展を背景に、初めて商業的(接客業)な性別越境者が登場してきたことの画期性を説明。

鈴木春信の「五常」シリーズ(1767)の中の「義」、北尾重政の「東西南北 美人」シリーズの「西方の美人 堺町」を紹介しながら、江戸の陰間のイメージをつかんでもらい、身体的には男性である「陰間」が、女性に立ち交じって、江戸を代表する「美人」として描かれていることに注目してほしいと述べる。

次に、陰間の称は、歌舞伎の舞台に立つ女形を「舞台子」と言い、舞台に立てない女形を「陰子」と呼んだことに始まること、舞台に立てない「陰子」が、生活のために茶屋で接客サービス(共同飲食、芸能、セックスワーク)を行ったのが陰間茶屋の始まりであること。
江戸の陰間茶屋は、歌舞伎の盛行とともに寛文・元禄の頃(1661~1703)に始まり、延享・宝暦期(1744~63)に全盛をむかえ、10代将軍家治の治世の安永4年(1775)の江戸には、9カ所55軒の陰間茶屋があり、232人の陰間がいたこと。
松平定信の寛政の改革(1787)、水野忠邦の天保の改革(1843)の風紀取り締まりで打撃を被り、幕末には、湯島天神町にわずかに残るだけで、ほとんど姿を消したこと、など陰間茶屋の盛衰の概況を解説。

『男色細見』の著者平賀源内が男色家であることを述べると、何人かの学生の口から「へ~ぇ」というつぶやきが漏れる。

「絵本 吾妻袂」に描かれている料理茶屋に出張した陰間の姿から、女性の芸者との類似性、芸能者であると同時にセックスワークも行っていたことを指摘する。

続いて、鈴木春信の『艶色真似ゑもん』(1770)の中の一葉で、色道修行のため豆男に変身した浮世之助(主人公)が陰間茶屋の2階を覗き見している図と、奥村政信の『閨の雛形』(1738)の中の2葉1組を紹介。

いずれも、一見、若旦那と遊女の男女のセックスシーンと見間違えそうであるが、描かれているペニスの数(前者は2人で2本、後者は3人で2本)から、遊女に見えるのは陰間であることを解説。

一般の人が楽しむ女色を中心とした春画シリーズの中に、ごく自然に陰間が描かれていることから、江戸時代における女色と男色の距離は、現代の異性愛と同性愛の距離よりはるかに近かったこと、男色に対する違和感も少なかったことが推測される、と結んだ。

ここまでで45分ほどかかってしまい、ようやく今日のテーマ「トランスジェンダーの社会史(2)-近代の抑圧-」に入る。

第1部は「明治の文明開化と異性装の抑圧」
前近代的な異性装の文化と密接に関係しながら江戸時代に高度に発達した「男色文化」が、明治維新後の近代化(西欧化)の過程で、法的な規制が加えられるなど抑圧が進み、性別越境(トランスジェンダー)的な人々はアンダーグラウンド化していったこと、明治維新と文明開化は、異性装者にとって厳しい社会的抑圧の始まりだったことを述べる。

まず、明治5年(1872)の違式かい(言+圭の字)違条例による異性装習俗の禁止について説明。
異性装の風習は、男女混浴、立ち小便、裸体歩行、刺青などと同様に、明治の為政者たちが外国人の目に触れさせたくない恥ずべき風習のひとつであったことを解説。

次に、明治7年(1875)10月2日の『東京日々新聞』に掲載された香川県三木郡保元村の塗師早蔵の「妻」お乙が、戸籍作成の際に、実は本名乙吉という男性であることが露見し、結婚を無効にされてしまった話を紹介。
近代的な戸籍制度の成立による個別的な人身把握、婚姻・家制度の確立によって、「女装妻」のような「あいまいな性」の存在が困難になったことを述べる。

さらに、明治6年(1873)の改定律例266条に規定された鶏姦罪によって、肛門性交が法的に禁止され、違反者は懲役90日の重罪とされたことを紹介。
事例として、明治14年(1881)に元女形の茶屋「女」が、女と思い込んでいた人力車夫と性行為に及び、男性であることが露見し、鶏姦罪で懲役90日に処せられた話を紹介。
「女」としての性行動をもつ定常的な異性装(女装)者にとって、鶏姦罪の存在は違式かい違条例とともに二重の強い抑圧だったことを説明する。

ここまでで、時間となってしまい、大正~昭和戦前期については次回に持ち越し。

今日の授業後の質問「陰間茶屋の客には女性もいたというお話でしたが、そうした女性を顧客とする(今のホストクラブのような)サービス業は、明治以降も存在したのでしょうか?」。
お返事「アンダーグラウンドでは皆無とはいえませんが、少なくとも『茶屋』のような店舗形態の業態は存在しませんでした。そうした点でも、江戸時代と明治以降の性風俗文化にはかなり断絶があったと思います」。

帰路は、池袋経由。
19時10分、学芸大学駅に着く。

東口商店街の居酒屋「一善」へ。
生ビール1杯、ウーロン茶2杯。
肴は、ほうぼうの刺身、湯豆腐、きんぴらごぼう。
今日は、お昼抜きだったので、最後にポークカレーでお腹を満たす。

22時30分、仕事場に戻る。
お風呂を入れて、ゆっくりつかり、身体のあちこちのメンテナンス。

明日からの京都出張の準備を確認。
就寝2時。


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